世界一か美姫Chanらしさか、嬉しい悲鳴のフィギャア世界選手権

ショートプログラムはシェラザード、千夜一夜物語
その時、ミキティ王女は自分らしく輝くことだけが総てだった。
時に美しく、時に力強く、さらに優しく優雅にお茶目さも交えながら・・・
それはまさに、ライバル達の素晴らしい演技の続くなかでフィギャアに点数をつける事をあざ笑うが如くだった。
あなた達はあなた達で私には無い素晴らしいがある、でも私には自分にしかない演技の輝きがある、それを比較して優劣をつけることは今の私にはそれほど意味のあることではない。

でもファンと言うものは心配の固まりだといつもつくづく思う。
顔にできた抗生物質の後遺症、そして何よりビールマンスピンさえできない肩。
あの患部をかばいながら舞ったスパイダルはさらに増した美しさよりその痛々しさが美姫Chanのスケートへの強くけなげな想いをまさに表すようで、刃物で心臓を突き刺されるようなそれでいて美姫Chanの心を見透かすようで思わず心と目頭が熱くなった。
それは間違いなく今期、彼女が盛んに口にするスケーターの熱き想いが噴出してくるシニアのスケートに違いない。
確かに昨日のキム・ヨナも彼女のスケートへの想いが詰まった素晴らしいシニアのスケートをした。まさに緊張や不安と興奮や気合の狭間を見事に貫いた世界一に値する素晴らしい舞に違いない。
でも美姫Chanのスケートの中には他の偉大なスケーターの持つ強さと美しさのほかに、弱さと優しさがある。
確かにスポーツには弱さと優しさなどは無用の産物かもしれない。
でもフィギャアは芸術でもある。
人間の繊細な心の動きをいかに表現できるかが課題であり、いかに強烈に素晴らしく表現してもそれが心を偽ったものでは、私にとってはだれの作品かもわからないつまらない作品でしかない。だから創り笑いをしてましてそれを恥ずかしげもなく種明かしをするスケーターは興味はない。
素の自分が感じたままを素の自分らしく頑固なまでの自己哲学を持って表現する。
そんな中、弱い自分をさらけ出しながらもそれでも前向きな想いを表現するなんて、なんて素晴らしいことだろう。なぜなら嘘も芸術の陥りやすいエリート意識もない、身近に共感できる夢への想いがあるからだ。
今夜、美姫Chanはおそらく4回転サルコーに挑戦するだろう。
一スポーツ好きから言えば理詰めでいけばノーミスさえすれば体調に不安のあるキム・ヨナに勝てる可能性が大きいだろうと思う。
しかし、今まで美姫Chanらしさとそして甘くも苦くも思い出という経験を糧に舞ってきた美姫Chan。
自分らしさを貫くか、良くも悪くも経験を積み重ねるか、はたまた無難に世界一という自信を手に入れるか
そしてその結果が三年後のバンクーバーの美姫Chanに何をもたらすか?!
とにかく今日は何も考えず無欲に目の前の素の安藤美姫Chanとバイオリンとの競演を楽しむだけだ。
さあ、おおいに東京さくらナイト、スケートを楽しむがいい美姫Chan!!
STAY GOLD and I Believe